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ガス抜きをしよう   (蓮恵) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

ガスはガスに内在する燃焼力を外に表現しようとし燃え上がるがごとく、水がその内在する洗浄力を表現し汚れを洗い流すがごとく、万物はその内在する性質を外に表現しようとする。万物のひとつである、我々人間も例外ではなく内在するものは表に出て来ようとする。
人間の内在するものとはすなわち念である。念は念に留まらず外に向かって飛び出し表現をしようとする。
あまりにその念が強かろうとも我々は自制心があるから外に出さないように努める。すると念は業になりカルマとなり死後、輪廻に向かうエネルギーとなって結局は外に表れる。
それほど強大なエネルギーを持つ念であるが、我々はそんなものは日々の生活の中でコントロールできるものだと思っているから、押さえ込んだ念が別の形で表れてきていることに殆どの人は気がつかない。
身近な者の死にいつまでも悲しみ心が晴れぬのも、外に吹き出そうとする悲しみの念を心に抑えつけ続けたものが別の形を取って吹き出しているからで、悲しみが癒えているわけではないのだ。だから「悲しみを吐き出しなさい、悲しいときは泣き叫んでいいのだから」と私は話をする。
怒りも、悲しみも、孤独の寂しさも、その念が外に出ようとしているのだから出してやるのがいい。
悔しかったこと辛かったこと、紙に書き出すだけでもよい、声に出して叫んでもよい。
ガス抜きをしよう、心がはち切れて爆発する前に

瞋りの排除 (了山) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

怒りとは何か?
それは結局自分の期待通り、思い通りにならないために起こるものだ。相手に全く期待しなければ
期待したことをやらなかろうと何とも思わないし、すべて自分の願い通りならば怒りは起こりようが
ない。
ところが我々はついつい身近な者に期待し、自分に期待し、思い通りとならず叶わぬとなればその
ことに憤ってしまう。
しかしよくよく考えてみれば、自分ですらやろうとしたことの半分もできず、思い通りになることなど
ほとんどないのが現実であるのに、他人に要求して要求通りにならないからといって怒りをぶつけ
るというのはそれこそ自分のことは棚に上げてということになろう。
思い通りになることなどひとつたりとてない。そう肝に命ずれば、我々を不幸に陥れる三毒のひと
つ、瞋(いか)りも起こらない。
また、他人も自分と同じなのだと気付けば、他者に対する怒りも同様に起こらない。
相手も同じなのだと思いやる気持ちが湧いてくる。
生きるとは、何一つ思い通りに行かないものだと、最初から期待しないとか、諦めや投げやりに
向かうのではなく、現実を直視し真理を獲得する事ができた結果、他者を傷つけ、自分を破壊し
てしまうほどの毒を放逐する事ができたということの方がよほど大きな喜びではなかろうか。
お釈迦様がこのことに気付かれたときの歓喜の心を貴方にも味わってもらいたい。この話が
きっかけとなり、一助となれれば私も嬉しい。

情報操作   (海豊) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

テレビも何ももたない私はテレビが見たくなると、前にも話したが回りから通称エロ寺と呼ばれている寺に行く。
テレビを見る頻度が少ない私は、テレビのわざとらしい情報操作に虫酸が走る。
その人物を立派に見せたいときは、アナウンサーも一度もあったこともない癖に「名将」と
頭に付けて呼ぶ、今まで見たスポーツ報道で外国人監督に付けて呼ばないのを聞いたことがない。これは付けるのが決まりなのかと思うほどだ。
その人物の人気を高めようとするときは、ニックネームを無理矢理つけて身近な親しさを演出する。自分の身内でもないのに身内のごとく「アニキ」とアナウンサーが何度も連呼するのなんぞは典型例であろう。
「永遠のライバル」とか「豪腕」とか「親分」とか先入観を作られることを極端に嫌う私は
テレビから流れてくる度に敏感に反応する。
もっともこれは、こんな情報操作にいちいち反応したり、惑わされるなよという反面教師の情報操作なのかもしれない。
もっともいちいち気にかかるのはテレビをほとんど見ない私くらいで、皆さんは「また言ってやがる」くらいに聞き流しているのだろうが、「お前無理矢理死ね」というのを特攻、玉砕という美辞麗句で礼賛したのと同じ胡散臭さを感じるのも私だけだろうか

一生懸命を応援    (蓮恵) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

朝、玄関に出てみると、蝉が仰向けに死んでいた。
頑張って生きたのだろうとそっと手に取り庭に埋めてやろうと持っていった。
小さな穴を掘って、埋めようと再び掌に乗せると、それまでぴくりとも動かなかったのに
突如として羽根をばたつかせ私の頭の上を一周し飛び去っていった。
地上に出てからたかだか1週間の命だが一生懸命生きているその姿。
単にそれだけのことだが、自分に向かって、短い人生を一生懸命に生きよと身を以て
示してくれたような気がして、
「ありがとう、わかったよ、お前も頑張れ」と飛び去った蝉に向かって手を振った。

子供は最高の親友   (了山) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

目が回るような忙しさと暑さで3人とも参っており更新が遅れていることを申し訳なく思います。
私は今年の春からゆっくりではありますが200ページ程度の予定で「子と親は最高の親友で
ある」というテーマで執筆をしてるがあまりに現状が酷いので内容を今一度改めねばならな
いように思っている。

友とは、ただ単に今日から、お前と俺は親友だと口で言って成り立つものではない。
友達面して適当な言葉を放ってもそんなものは簡単に見破られ、友人の契りを破棄される。
絵空事でも、奇麗事でもない、真の思いやり、利害など入る余地がない、なんとか相手を手
助けしたい、無私の行動という実践、真理に基づく行動でしか友情は顕せない。
親は子の信頼に応え、子も親の信頼に応え精一杯の心配りをする。親にとっても子にとって
も、まさしく子育ては、人間の持つべき慈悲心の発現、成長につながる聖なる行為、日々友
情の実践なのだ。
今日、子供マンションの1室に閉じ込めたまま育児放棄をして友人のマンションに逃げ込
み放置し助けにも行かず、2人の子供を餓死させた母親が逮捕された。
沖縄では乳児が泣くのがうるさいと、頭突きをして殺した父親もいる。
想像を絶する終わりなき虐待に遭い、洗濯機に入れられ、最後はゴミのポリバケツに入れ
られ窒息死させられた子は、生前児童相談員や担任に対し身体のあざは自分が転んで作
ったもので親に殴られたものではないと必死で親を庇ったそうだ。
この高貴な態度に対し親はイジメ殺すという殺人で応えた。
目の前の小さな存在、しかし将来は必ず友となる存在。今は自分で立つこともできず泣くこ
としかできない友を助けずにはいられないのが人を動物とは異なる存在、情を持った人たる
ゆえんではないのか。
苦しかったろう、痛かったろう、お腹が空いて空いてつらかったろう・・・
この子達にどうか祈りを捧げてほしい。
私も祈りを捧げる「今度生まれてくるときはどうか私のところに来てくれよ」と


お盆の準備

7月のお盆が終わり8月のお盆の準備でてんてこまいです。

アップの遅れ、ご容赦ください。


真理の体現    (海豊) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

先日花屋に花を見に行った。いつも孫に車で送ってもらって仏花を持ってきてくれるばあさんに花の
お返しをするためだ。
平日の昼間であるが、若い客も意外と多くいて、派手な化粧とほとんど裸同然の服装をした夜の
蝶が、半袖のシャツからも唐獅子牡丹の入れ墨が見え隠れしている若いチンピラの腕にまとわりつ
いていたりして、どうせ群がるなら花に群がればよいのにと苦笑しながらも花を愛でる。
薔薇を一鉢手に取りレジに向かうとレジのパートと思われる女性が、先程のチンピラ風情の男に
「この間はありがとうございます、今日は彼女にプレゼントですか?」と声を掛けており、それを聞い
ていた私は心の中で、ほう、この男は常連なんだとつぶやいた。
レジの順番が回ってきて花を置くと先程のパートの女性がまた「いつもありがとうございます、この
間買われた花はどうでしたか」と話しかけてきた。
私は御宝前の花はほとんどがもらい物で、めったに花など買いに来ないしこの店に来るのも初め
てである。
そう、先程の男にも私にも、客に対しわざと意識して女性はそう言っているのだ。
言われた方は、「それ私じゃありません」と野暮な返事をするわけはないし、たとえ間違いでも悪い
気はしない。それでまたこの花屋に来てみようかという気になる。それが何度も続けば、彼女が発
した言葉通り「いつもありがとうございます」の世界が顕現する。
勝利の法則も、幸福の法則も同じ事だ。心に曇りなき生活を送っている。だから既に勝利は手に入
れている。望むもので与えれないものはないから、必要なものはすべて与えられ満たされていると
心から思うだけでその世界は現実化する。
この女性は、ただただ店の売り上げのため、商売のために思いついただけなのだろうが、日常で
真理を体現しているから、なにかのきっかけで悟りを求めるようなことになったら、あっという間にそ
れを得るに違いない。

望んだ姿になる    (蓮恵) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

先日知人に誘われ、埼玉にある会員制のスーパーコス○コに行ってきた。なんでも会員にならなく
ても会員と一緒ならば買い物ができるそうで、ほしいものなどないのであるが社会見学のつもりで
付いていった。
往きの電車の中では50代なかばと思われる女性が優先席に座ってマナーモードにもせずにピッピ
ピッピと音を立てながら携帯を打ち続け、見かねた近くの人がマナーモードにしたらと諭すと、ひと言
「あら、気になりましたか?」と言い、席を立って少し離れるが相変わらず音を出しながら打ち続けて
周りを不快の空気に染めていた。
巨大スーパーにつくと平日の昼間にもかかわらず店内はごった返し、これまた巨大なショッピングカ
ートに山のようにモノを買い込み出入りする人で溢れていた。
久しぶりの人混みに驚いている私を尻目に知人もどんどん品物をカートに放り込む。何度も来ている
からか、それとも何も買わずに付き合っている私に気を遣ってかあっという間に○万ちかくの買い物
を済ませた。
スーパーの中には簡単なホットドックやピザが食べられるスペースがあり、私たちもホットドックを買
ってマスタード、ケッチャップ、刻みタマネギ、刻みピクルスを載せるためにディスペンサーの前に並
んだが、ピクルスのディスペンサーの前に来ると流れが止まった。どうしたのだろうとのぞき込むと、
これまた50代半ばの女性が周りの目も気にせず一心不乱に自分で持ち込んだガラス瓶にピクル
スを詰め込んでいた。並んで待っている大勢の人々は、なんとも品のないその姿にうんざりした侮
蔑の目を向けているが一向に気にせずビンに詰め続け、終えると何事もなかったかのようにその場
を立ち去って行った。
ほとんど電車にも乗らないし、人ごみにも行かない私がたまたま出歩いただけでこのようのものを
見てしまうのだから、見本となるべき大人のモラルハザードは私が想像する以上に進んでしまって
いるようだ。
50才を過ぎ完成された気品を持ってもおかしくないような年令なのに周りに下品と不快を撒き散ら
かす。戦後の個人主義と義務を伴う自由主義を履き間違えた世代だからかなとか、親の躾のせい
かなとか、今50代だから子供は20代なかばから30代くらい、こんな親に育てられたらどんな大人
に育っているのだろうとか、つらつら考えるが、一つだけ言えることは、品がない自分は自らが選ん
で作り上げたものだということだ。そのまま歩いてゆけばドブに堕ち腐敗臭が漂う汚物まみれにな
ると判っていれば誰もそこには近づかない。それと同じことなのに、品性ならいとも簡単に自分から
捨てられ、下品のドブに浸かれるのはそうしたいと自分が望まねば起こるはずがないからだ。
ひとごとながらなんともやり切れない気持ちになる。








ゲリラ戦     (了山) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

一人で大きくなったとほざいて親をないがしろにしたり、家庭内で親に暴力をふるったりするクズが
いるが、どれだけ親の恩を受けて育ってきたか忘れたとは言わせない。
赤ん坊の頃、腹が空いたと泣き叫び、おしっこやウンチをして不快だといっては泣き叫び
なんの不満もないはずなのに何時間も愚図り、夜になれば夜泣きを始め親の睡眠時間を奪う。
毎日お風呂にいれてもらい、清潔な衣を着せてもらい、大病も患わず、なんの不自由もなく育って
これたのはまぎれもなく我が子のためならば自分の命すら捨てる親の愛情のおかげなのである。
 子供の面倒をみるのは親として当たり前のことだとうそぶくのなら試しに以下の事をやってみる
といい。
子育てはゲリラ戦である。ある日は夜中の2時に起こされ4時まで愚図られたり、また、ある日は
夜の11時に寝てくれたと思ったら2時間後には夜泣きが始まり眠ることすらできない日々が何年
も続くのだ。毎日1時から4時まで規則的に寝られるのなら別に問題はない。不規則で短時間の
断続的な睡眠は間違いなく心身をかき回され、疲労困憊に陥る。ベトナム戦争でホーチミン
「昼夜問わず、不意を突いて攻撃し相手の休息を奪え」と言っているがごときと同じ事を体験して
みるといい。
苦労の末、ここまで育ててもらった。この恩を知ったならば、とても親をないがしろにはできないは
ずだ。この恩にどう報いればよいのだろう。苦労を掛けた親に楽をさせてやりたいと思えば、引き
こもりを続け、さらなる苦労を掛けようなどとはよもや考えぬはずだ。
親の恩を知れば、感謝が湧き、報いたいと思う。知恩は人を善行に向かわせる種子であるとあら
ためて納得させられる。

金の亡者    (海豊) [法話図書館 (毎週月曜更新)]

都会で葬式坊主を生業とするために田舎の住職に金を積んで坊主になった男がいる。坊主になった
後は自分の宗旨以外のどの宗派の葬儀も引き受け、どんどん弟子を取り1週間程度のお経の練習
をさせた後はどんどん葬儀場に送り込んで金儲けに走っていたが、真宗の葬儀なのに天台のお経
を読んだり等とんでもない間違いを犯したり、白木の位牌には無茶苦茶な戒名を付けるはで、喪主
からはクレームが続出し県内の業者からは出入り禁止を喰らってしまった。
いくら距離が離れているといってもそのようなことをやっていて師匠の住職の耳に入らないわけがな
く即座に破門になった。
自分が僧侶として活動できなくなると、今度は貧乏寺のまともな坊さん達に声をかけ仕事の依頼を
するようになったが、交通費も渡さずお布施の7割を抜き、酷いときには1万円程度しか渡さないも
のだから終いにはどの坊さんからも相手にされなくなった。
わたしにまで悪評が聞こえてくるほどであるからよっぽどのことであるが、その男からいきなり電話
があって、「一度席を用意するので飲みながらお話しをしたい」と言ってきたので面白そうなので行
ってみた。
会えば口調は穏やかで腰も低く、噂を聞いていなければとてもそのような強欲な事をする者とは判
らなかっただろう。
当たり障りのない話しをひととおり終えた後、「実は僧侶派遣業を立ち上げるつもりなんだがご意見
を伺いたい」と言ってきたので、こちらもこの男の今まで僧侶に対してやってきたこと全く知らぬ狸顔
をして派遣業法と寺院の宗教行為について一般的な話しをしたがどうもかみ合わない。
そこでなにを言いたいのかずばり聞いてみると、僧侶派遣業を立ち上げるに当たって体裁を整える
ため僧侶の資格のある私に役員に入ってほしいという。
冗談じゃない、こっちを矢面にたたせてやっかい事をすべて押し付けるつもりだろう。そんなことに乗
る馬鹿はおらんぞ。と心の中でつぶやきながら、「それはすばらしい、ぜひともいいものを設立してく
ださい」と大絶賛し調子に乗せるとその男は大風呂敷を広げ始めた。
しばらくはこちらも全面同意でその大風呂敷を褒め称えていたが、私も少し酒が回ったのかチクリチ
クリと針を刺す。「日雇い派遣は禁止になりましたがそこら辺はどうされるので」、「正式な業者ともな
れば紹介料として取れるのはせいぜい1割が限度ですから、今までのようにほとんどこちらが取って
しまうようなドンブリはできなくなりますな」と言うたびに、酒で赤くなった相手の顔が微妙に引きつる
のが判り、吹き出しそうになるのをやっとの事で我慢した。
金の亡者とはよく言ったものだ。私には、主義も信念もないこの男の実体が全く見えない。

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